非常勤講師(フリーランス)の保活で役にたったこと

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あっという間に娘の1歳の誕生日も七夕も終わり…
少しでも七夕気分を、と星っぽい画像をあげてみる。

今日は、自分の保活についてまとめておく。
お役所の書類や制度は、フルタイムで産後の仕事が確保されている、または昔ながらの自営業者を想定して作られているように感じる。
今やフリーランスで様々な仕事をする人が多く、そのあたりにズレが生じてきていると思う。
今回、保活で自分が取った行動についてのメモがどなたかの参考になればと。


私の仕事は、大学非常勤講師で、ときどき企業での研修講師も引き受けている。
どのような特徴があるかというと、

①契約は1年または半年という単位
 またはイベントごとの依頼
②金銭は、1コマ=金額や1研修=金額でお支払い
③福利厚生なし(国保か、扶養範囲内なら扶養)
④休んだらどうなるか…基本的には誰か他の先生を探して、自分が担当していたコマが埋められる。

①-④に該当する人は、非常勤講師以外にも結構いるのではないかな、と思う。
④は結構ポイントだ。代わりにコマを担当になった先生も、自分の生活がかかっているので「赤ちゃん無事出産しました、そのコマ返してください」とはいかない。その人だって収入が減ればまた新たに勤め先を探すことになるわけで、履歴書を出して面接を受けて…という労力を考えると、半年ないし1年でコマを返すぐらいなら最初から長期的な(返さなくてよい)仕事を選ぶだろう。

つまり、赤ちゃんを産んだあとも仕事がしたければ、また自分で仕事を探すところから始めなければならない。休む、のではなく一時的に辞める、といったほうがいい。
復帰後の仕事を探す際に「次の4月から、空いているコマありますか」と聞いてもあちらからは「あるけど、4月から出られますか。保育園に預けられますか」と聞かれる。
仕事の募集があるときに保育園確定の保証は一切なく、子どもの預け先も宙に浮いたまま仕事を探さねばならない。

そのときに、ジレンマになるのが産前産後の働き方のギャップだ。
お役所(地域によっても違うと思うけれど)の書類は、産前の働き方でまずその人に保育園が必要かどうかを判断する「実績型」システムで、「これからこんな仕事をする予定で」というのは基本的に加味されない。
しかしながら、復帰後の仕事量が産前と比べて著しく少ない場合は「あなた、提出書類では保育園に入れる必要あると思っていたけど、実際は違うのね」と、保育園確定が取り消される。このあたりが、フルタイムで産前産後の仕事を保証されている人向けの制度だなあと思う点だ。
(確かに、産後の仕事が少なかった場合はより必要な人に保育園入園が譲られるべきだとは思うが、入園できるかが不確定なまま産前と同等の仕事量確保に奔走する苦労はあまり想定されていない)


私にとって一番役に立ったのは個人事業主として開業届けを提出していて、自営業者として書類を制作できたことだ。

非常勤のコマ数だけの勤務時間だと、とてもじゃないがフルタイム計上の人たちにはかなわない。しかし、自宅でそのための授業準備や、単発で入る研修準備等、業務時間はかかっている。
また、当時私は教科書も執筆していたので、担当者の人との打ち合わせや共著者との打ち合わせ等、自宅内外で様々な作業が発生していた。
そのような大学のコマ数以外の業務時間をきちんと計上できたのは、とてもありがたかった。自宅内外でどのような仕事をしているかを書いて、あとはお役所の基準に合わせて自宅内勤務の点数になるか外勤の点数になるかという判断はお任せした。
(ちなみに、自営業者として書類を作成するときに、自営証明として開業届けを提出しました)

フリーランスの人は、すでに開業届けを出している人もいるだろうが、同業者の人と話をすると、全く想定しておらず、入園をあきらめるか高額の無認可に最初から入れて稼ぐのとお財布から出て行くのとトントン、という生活をしている人もいた。
と、いうわけで、非常勤講師の方やフリーランスの方は「赤ちゃんができたら考えればいいか」ではなく、いまのうちに調べておくことをオススメする。


実は、私の場合は本当にありがたく、私がお休みしている際に「また戻ってきてね」と言って期間限定で交代してくださる方がいたので、全てではないもののいくつかのコマが約束されていた=復帰日も決まっていた。
どの職種でもそうだけれど、普段から責任を持って良い仕事をしよう、と仕事に臨むことはとても大切だなと強く感じる(そのままバイバイ、という可能性も大いにあるので、「また一緒に働きたい」と思ってもらえることが産後の仕事につながる気がする)。


かくして娘3ヵ月のときに、仕事に復帰することになるのだが、案の定そのときには保育園は決まらなかったのである。
そこでお金と労力をかけて乗り切ったのだが、それはまた別の機会に。