娘が与えたたった一つの大きな気づき(仕事編)

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あけましておめでとうございます。
娘も一歳半になり、慌ただしくも楽しさも増してきました。
今日は、年始めの目標をぼんやり考えるために、娘が私の仕事観に与えた影響について書いてみます。

娘が与えた最も大きな影響とは、
「一見したいように見えること」と「本当にしたいこと」は似ているが違うと気づいたことだ。

元々私は仕事が好きなのだが、娘が生まれて、以前よりも切実に「時間は有限である」と感じることが増えた。
これは多くの働くパパ・ママが産前産後に感じることらしく、色々なところで書かれていることだ。
これまでと同じように仕事を引き受けていたら、家族との時間・己の体力・精神的余裕など、さまざまなものを犠牲にしなければならない。(子どもの有無に関わらず万人に言えることだけれども)
もちろん健康的な生活であるはずもないし、仕事の質も保てない。新しいものを生み出す余裕もなくなるだろう。

では、どうすればよいか。答えはただ一つ。「考えなしに仕事を引き受けることをやめること」である。
一番のくせ者は、実は「しなければならないこと」ではなく「一見したいように見えること」だ。
娘が生まれる前は、手元にきた仕事やお誘いを「これは自分を高めるためのチャンスだ」「これが別の何かにつながるかもしれない」と、前向きに捉えて引き受けることが多く、実際に何かに繋がってきたし、自分の成長にも繋がっている。
でも、「別の何かにつながるかも」の「別の何か」がはっきりしないまま引き受けてきたという側面もある。
「一見したいように見えること」と「本当にしたいこと」は似ているが違う。
業務の中でみんなで協力して「しなければならないこと」は効率良く誠実に行い、あとは「一見したいように見えること」にかけていた時間を「本当にしたいこと」にかけたいと思えるようになった。

そこで、以下の4点をはっきりさせた
①漠然としたキャリアアップのためであれば引き受けない
②自分のしたいことが実現できればキャリアにはこだわらない
③自分のしたいことが、他者にとって価値のあることであるように公の利益を考える
④断る際は、子どもを理由に使わずに自分がしたいことを伝えて理解してもらうようにする

この4点をはっきりさせることで、
「しなければならないこと」「一見したいように見えること」「本当にしたいこと」
の区別をつけて振り分け、仕事を引き受けたり断ったりできるようになった。
「したいように見えること」は、主にキャリアアップや、所属チーム・役職等のバリューに惹かれて引き受けるようなものが多い気がしている。(なので①②)

③は、お誘いを断っても他者とよい関係を築くために「あいつは別にやりたいことがある。でも価値があることだと思うから、応援してやろう」と思ってもらうためにも明確化・言語化しておく必要がある。
「せっかくもってきた誘いを断りやがって!」と思うような人は、幸運にも私の周りにはあまりいない。「断りやがって」タイプの人は、これまでの数少ない経験上、結局自分の思い通りに動く駒が欲しいだけで他者の能力や誠実な希望へのリスペクトが足りない気がするので、年齢・性別に関わらずあまり人生で関わりたくないなと思ってしまう(だからどのように言われても気にしていないことにしている)。
「一見したいように見えること」は、他者にとっても魅力的なので(あるいはそれが誰かにとって本当にやりたいことである場合も)、やりたいと思う人は必ずどこかにいる。ならば「本当にやりたい人がやるべきだ」と思う。

④は、子どもを理由に何かを断ることは、実はとても便利で、相手がそれ以上強く出にくい。でも、乱用して「これだから子育て中の奴はな〜」と思われるのも嫌だし、そうした考えが社会にはびこって欲しくない。ただでさえ、少し早く帰らせてもらったり打ち合わせ時間を調整してもらったりしているのだ。ここで娘を理由に使うのは違う気がした。
今回娘が生まれたことで、「したいことがはっきりした」というのは私にとって恩恵であり、娘は「仕事を断るための道具」ではなく「したいことをしたいと言えるようになった導き人」なのだ。
したいことを言語化して理解者を増やしながら誠実に対応していきたいなと、仕事への愛情と一緒に働いてくれる人への感謝の気持ちが強まった。

本当にしたいことを見極める、ということは子どものあるなしに関わらない。私はたまたまきっかけが娘だったのかなと思う。

と、いうわけで、2017年はこの2016年の大きな気づきを、
ひとつずつ誠実に実行していきたいなと思っている。


みなさまも良い一年を!