育児パパ遭遇の恩恵と手放し礼賛の危険性

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結婚してすぐに東京に越してきたのだけれど、それまでは大阪、その前は高知にいた。
そして出身地は愛知。ちなみにオットの出身地は熊本。

東京にきて「育児パパ遭遇率」がなんとなく高く感じる。
まぁ、どんな環境のパパでも育児パパなのだけれど、
ここでいいたい「育児パパ遭遇率」とは、「子どもを一人で連れ出しているパパに遭遇する機会」のことだ。
愛知にいる私の兄や義理弟もよく自分の子や甥っ子・姪っ子を連れ出して遊びにいっているので他県にももちろん一人で連れ出しているパパは大勢居る。
(兄や義理弟の場合「よければ一緒に連れて行くよ〜」と互いの子どもも引き連れて大人一人とチビっ子4人ででかけるので、なかなか頼もしい)

東京で遭遇率が高く感じる理由は、「平日でも遭遇することがある」「車以外の交通手段を使う人が多く、道ばたでもよく遭遇する」からかな、と思う。
おそらく東京のほうが他県よりも働き方が多様であり、多様な働き方をしている人の人数も多いために平日育児パパに遭遇する確率が高いのだろう。
予防接種もママのほうが多いけれど、パパ一人で連れてきていることもある。
芝生にレジャーシートをひいて娘さんと二人でお弁当を食べているパパも。

子育ての新米である私にとって、最初はなんでもドキドキする。
ベビーカーにのせることも、使い始めたばかりの抱っこヒモの操作も。
ベビーカーでのお出かけも「途中でギャン泣きしたらどうしよう…」と、抱っこになれていないうちは「もう家から出なくていいや」と何度思ったか。
子どもの服を脱がせたり着せたり、おむつ替えの必要があったり、ベビーカーや抱っこヒモから下ろしたり…という色々な慣れない作業が伴う予防接種はなかなかのドキドキ感だった。(今はもうドキドキしないけど)
そんなときに先輩パパママがなんでもない顔をしてサッサか済ませている様子をみると「ほぉ…なるほど、ああやればよいのか」と色々勉強になる。

最近、育児はパパママ両方参加するんだよ!という風潮が強いけれど、そしてそれにはもちろん賛成なのだけれど、
はじめてのことにドキドキするのは性差関係なく当たり前で、ましてや「なんか間違ったことしたら壊れちゃうんじゃないか」と感じさせる赤ちゃん相手である。
何回かしていて慣れていることをいきなり「あなたもやって」と同程度要求するのも違うとも思っている。
慣れている方が、最初のドキドキ感を忘れず「最初は自分もこう思ってドキドキしたんだけど、こうしたら大丈夫だった」と伝えながら少しずつ二人ができる作業にすべきでないかと思う。

そんなときに、一家で散歩にふらりとでかけたときに遭遇する育児パパは非常にありがたい。
なぜなら「なんだ、一人でベビーカー押しているパパも結構いるじゃん。自分にもできるかもしれない」と抱っこやベビーカーになれてきた頃に、オット本人が感じてくれるからである。
せっかく家の中や一緒に出かけるときの抱っこに慣れても、子どもと一人でお出かけのモデルはママではつとまらない。
ここは、周囲のパパにモデルになってもらうしかない。
なので「モデルになってくれてありがとう」と育児パパに遭遇するとこっそり心の中で感謝している。

一方で「ほら、パパ一人でやってるじゃん。協力してるじゃん。」と手放しに礼賛するのもどうかと思う。
これは、一人親等の事情がある人の場合も同じで、
「あの人は母親一人でもがんばっている」「あの人は父親一人でもがんばっている」という姿のみを取り上げて礼賛するのは危険だと思う。

前述したように、誰しもが最初は不安で「だいじょうぶかな」と思いながら始めている。ましてや一人親の人は、その不安・困難も大きい。
むしろ大切なのは、その不安を乗り越えたプロセスや協力者の存在も併せてみていくことだと思う。
そうでなければ「ほら、あの人もできているんだからあなただってできるはず」が一人歩きして、不安を乗り越えるための知識・経験や協力者なしに、ハードルに立ち向かう(あるいは強制的に立ち向かわせられる)ことになってしまうからだ。

より多くの人が育児への自信を少しでも持つためには、適切な支援も必要で、
育児パパに遭遇するたびに「どのようなプロセスでここまできたのかな」「家庭でどんな育児運営してるのかな」と同時に気になる今日この頃だ。



結論:自信を持って何かに取り組めるようになったら、そのプロセスも知りたい



(本人の性格や得意不得意等も関係があると思われるのと、いきなりうまくいくわけではないのでその辺りについてはまた今度書きたいな)